陶器の持つ力

  宗像亮一の長男として会津に生まれ、育ち陶業を営んでおります。やきものの中でも井戸茶碗(ちゃわん)や天目茶碗に代表される器づくりに特に力を入れてきました。
 初めに日本食の基本は利休時代の一汁三菜の懐石料理にあるようです。料理をのせた器を膳(ぜん)に並べ姿勢を正し、それぞれの器を手に持ち、頂く事になります。このように手で器を持つという事は西洋には見られず日本の食文化の特徴と思われます。また手に持つ事により視覚だけでなく器の持つ感触、特に唇に触れた時の味わい、香りがさらに深まりおいしさを演出すると思われます。
 西洋料理は感覚の中の嗅覚(きゅうかく)を基本としますが、日本料理は触覚に訴え味覚のみならず心の奥底にも染み込んでいき深い感動を与えます。
 磁器に比べ陶器は柔らかく一見弱そうに見えます。にもかかわらず曜変天目茶碗は千年もの間、輝きを失わず現在国宝として生き続けています。きちんと焼かれた器は愛情を持って大切に使い続けることで色艶(いろつや)、雰囲気がどんどん変化していきます。使い手しだいでどのようにでも変化する経年変化が陶器の持つ最も大きな魅力かと思います。
 膳の上の器は食べものが少なくなるにつれて、次第に器の本質が見えて来ます。そして器に何もなくなった時に力強い存在感と美しさを持つ器が私の理想とするものです。そのような器で料理を食べると食べた後も器がただそこにあるだけで一品となります。
 陶器は土ものですから、いくら注意深く扱っていてもふちを欠いてしまう事があります。中には傷ものとしてこの器は使わないという人もいますが、ここからが新しい美の出発点となるのです。
 先日、異業種で私にいつも刺激を与えてくれる仲間四人で酒を酌み交わしました。その店には私の作った黒天目のぐいのみ二つが用意され、一つはふちが欠けていました。この時このぐいのみを勧めて良いか戸惑いましたが二人に好きな方を勧めました。
 するとなんと最初に選んだ人は欠けている方を手にしたのです。どうして選んだのですかと尋ねたところ、欠けていても作者は同じであり、大事に使われ役に立っている所に私は人生を感じるのですと言われました。
 この時、古来伝承されている器は使って育ち、欠点も魅力となります。見た目も大切ですが、ぐいのみは酒を入れ、手に持ち、五感に訴える力のある器こそ本質であると思ってきた私にとって、この友人の一言は尊厳と親しみに値しました。
 そして私たちは、この良さを共有しながら至福の時を過ごす事ができました。その時、利休が耳つき青磁花入れの片耳をとり、茶会に用いた事を思い出し、日本人の心の中には完全を通り越した不完全の美を愛(め)でるわび、さびの精神が脈々と受け継がれている事を実感しました。





出会うこと

  私の焼き物の原点は天目茶碗にあります。二十代の終わりごろ、NHKで曜変天目茶碗が放映された時、宗像窯伝来の鉄釉の中にこれに近い輝きを見た記憶が蘇(よみがえ)り天目茶碗への挑戦が始まりました。
 天目茶碗は天目型と言われるすっぽん口、御猪口(おちょこ)型蛇の目高台を持つ定番を目標としました。作り始めたころは、直径十二センチの小さな茶碗が、テレビで見るとボリューム感もあり、大きく感じました。寸法をしっかり量(はか)っても出来上がるとはるかに大きい大天目茶碗になってしまうのです。めげずにひたすら作り続けているうちに集中力も高まり、小さな茶碗の中にボリューム感、力強さ、緊張感を併せ持つ茶碗となったのは、狂ったように作り続けた二年後でした。周りの人は気が触れたのではないかと言っていたそうです。しかし出来上った天目茶碗は原型の模倣で決して納得できるものではありませんでした。
 そんな時、ある人との出会いがあったのです。二十年来、ひそかに宗像窯に御来店いただいたお客様を家内が突然、工房にお連れしました。家内もこのお客様に触れた時、天目を作る上で何かを感じお連れしたのだと思います。私は天目ぐいのみをお見せしました。その時、お客様は「身体に秘そむ造形力が一致している」と言われました。その言葉で今まで色、形にとらわれてきましたが、手で持った時の感触、重さのバランス、見込みの大きさによる質感といった内面の本質を見ることに心掛けるようになり、次第に私の理想とする作品ができるようになりました。
 焼き物は「一焼、二土、三細工」と言われるように焼きがすべてを決定します。昔から「窯の中には神様がいる」と言われてきました。この神の領域にどのくらい近づけるかがプロの焼物師の努めであります。最後に決めるのは経験に裏付けされた勘働きなのです。五感の働きがバランスよく働き、集中力が最高度に達した時、窯の神様はおいでになるそうです。この五感を高めてくれたのが会津の風土なのです。
 私はここ二十年間、毎朝往復一時間、山の宗像神社参りを日課にしております。歩き続けるうちに今では気付かなかった小さな花々、小鳥のさえずり、すべての風土の感触などが私の五感を鍛えてくれたようです。東京の個展を終え一週間ぶりで出合う自然は、まさに感動そのものです。さらに今までは自然は当たり前のもので、見ても見えずの世界にいたことに気付きました。背骨を伸ばし、呼吸を整え、肩の力を抜き、頭が空っぽになった時、より自然が身近に感じられます。そんな時、作陶のひらめきもおこり得ます。  現在の私があるのはまさに会津という風土の力のおかげなのです。この地に生を受け色々な出会いに恵まれ、作陶できる喜びを噛(か)みしめる今日、このごろです。





器と人

 六月の会津の味覚といえば、ニシンの山椒(さんしょう)漬けを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ニシン漬けとくれば、ニシン鉢となるわけですが、ニシン鉢に私が関心を持つようになったのは修業を終え、会津に帰ってきてしばらくしてからです。
 ニシン鉢がなぜベルギーのブリュッセル万国博でグランプリに輝いたのでしょうか。ニシン鉢は庶民の日常の器の一つであり、決して美術品ではありません。さらにニシン鉢をよくよく見ると、縦と横の比率がおよそ一対二の安定感のある形と厚みのある存在感が一体となった上、単純な造形は、まさに現代美と共通するものです。
 日常の器を考えてみると、一般的に値段も安く、壊しても惜しくない普段使いの器と言えます。湯のみでも、桐箱入りの高価なものは壊してはいけないという気持ちから普段使いはせず、何か特別な時に登場し、満足感に浸ることになります。ところが、現在は値が高くても安くても自分が本当に気に入り、普段の生活の中で大事に使い、自分の人生とともに生きるという人が増えているように感じます。そういった人は、普段使うものこそよく吟味して選び、大切に扱うことで器を成長させ、心の世界が一層豊かになっているように見受けられます。
 そもそも物を大切にするということが、人も大切にするという思いやり、さらには礼儀正しさこそがわが国の伝統であったはずです。最近は自国の優れた点を真剣に見ようとせず、他国の文化を無条件に受け入れ、それが最先端の流行と錯覚している人が多く、権利だけを主張する自己中心の人が目立つようになった一因ではないでしょうか。  器は自分の気に入ったものを選び、日常の世界から始まり、次第に美を中に秘めた作品に移行するものです。百円の湯のみも一万円の湯のみも同じ命を持っていますが、内在する美に大きな格差があります。自分の心の成長とともに一万円の高価な湯のみも一万円と意識しない日常使いの品になっていくのです。
 ニシン鉢の話に戻りますが、ニシン鉢の口は皆、角ばっています。よほど注意深く扱わないとすぐに欠けてしまいます。にもかかわらず角ばったまま長く作り続けられました。陶器以前の器はすべて木から作られました。漆を塗ったものは、軽くて丈夫でなかなか壊れにくい性質をもっています。剥(は)げれば塗りかえしもききます。しかし、陶器は壊れやすいので丁寧に扱うことを子どものころから身につけていったようです。
 世の中に壊れないものは何もありません。一番壊れやすいのは、最近では人の心だと言われています。生活に気に入った器を求め、長く使い続けていくということは、本来の日本人の心に戻る近道といえるのではないでしょうか。なぜなら器に対する愛情と尊敬がそのまま人間形成に反映すると思うからです。





やきものの原点を考える

 私は風土に根差した用の美に挑戦してきました。近世会津のやきものは、文禄二(一五九三)年に始まるわけですが、風土に視点を合わせると、縄文時代まで遡(さかのぼ)らなければならないと考えております。縄文式土器の出現で、生か焼く食べものが、現在とほぼ同じ煮たきができるようになりました。会津でも柳津周辺から多くの縄文式土器が出土していることから先人は豊かな生活を送っていたものと思われます。
 縄文式土器は、焼成温度が低いため強度は落ちますが、煮たきには十分に耐えうるものだったと思われます。また、成型の時に土に縄目をつけることで装飾性はもとより、土が良く締まり、強度にもつながりました。それが、単に器の機能だけでなく、エネルギーに満ちあふれる装飾が施されたため、「用の美の原点」と私は位置付けています。
 近年、新潟の火焔(かえん)式土器が国宝に指定されたのも、もっともなことだと思います。その後、弥生式土器、土師器(はじき)と進化していくわけですが、まだ強度は低く、それを克服したのが須恵器(すえき)です。須恵器以前のやきものは八百度前後の素焼きに近い土器で、生産も男女二人一組ぐらいの小規模で一日二十―三十ぐらいの少量しかできない、手びねり生産だったと言われております。また、焼く窯も穴を掘り、そこに乾燥したやきものを燃料と一緒に埋めて野焼き同然で焼成したものと思われます。しかし、須恵器が始まった頃(ころ)は穴を深く掘り、天上と側面をふさいだ状態の窟窯(あながま)で、千百度以内でも還元炎焼成によるいぶし焼きによって、釉薬(ゆうやく)をかけなくても硬くやきしまるものが焼かれました。
 会津は奈良時代(八世紀)の全盛時、大戸で須恵器窯が四百基あり東北一の生産量を誇っていました。また、須恵器は千度以上で焼かれるため、初めて高温に耐えることができる良質の粘土が真剣に選ばれるようになったといわれております。成型においてもロクロを使っての量産を可能にしたことで須恵器独特の鋭い線がやきものの世界に生まれた時でもあります。このように新しい技術はそれを駆使することができる特殊な専業技術集団の工人の成立につながっていきます。
 近世の会津では、初めは会津全域でやきものが営まれていましたが、会津美里町(旧会津本郷町)で良質な陶土と磁土が大量に発見され、これによって土を求めて小さな窟窯を築きながら移動しなくても、大きな登り窯を築くことができ、会津美里町はやきものの名産地としての地位を確立していったと思われます。
 このように考えていきますと、私の仕事は一万年にわたる先人の″肩の上″で仕事をさせていただいているのであり、一個人のできることではないということです。これからも風土に恥じない、風格のある作品づくりに精進していきたいと思っています。





会津の持つ精神的風土

 やきものと会津の風土を考えた時、まず会津における国宝の文化財をみると、湯川村・勝常寺の薬師堂に安置されている薬師如来座像、日光菩薩立像、月光菩薩立像の三体と会津美里町の龍興寺(旧会津高田町)の「一字蓮台法華経開結共」があります。このすぐれた仏像が生まれる背景には、慧日寺(磐梯町)を建立した徳一大師の存在が挙げられます。
 徳一は、はじめ法相宗を興福寺で学び、後に東大寺にも住したといわれ、その後、奥州に移り会津に住しました。徳一の名を歴史上にとどめることになったのは、天台宗の最澄との間で五年余り続いた「三一権実論争」です。本質を追求する教養人である徳一が当時、会津に住することで仏像においてもすぐれた仏像を造るために、当代一流の仏師が徳一の目によって選び抜かれたものと思われます。
 さらに、近世においては、一五九三年、若松城主となった、千利休七哲の筆頭といわれた蒲生氏郷公の存在があります。氏郷公が利休の子息の少庵を会津にかくまい、家康との連判により千家再興を果たしたことが、今の千家繁栄の礎になったと思われます。その証しとして少庵ゆかりの茶室麟閣が鶴ケ城の中にひっそりとたたずんでおります。
 会津本郷の陶器は、かつて粗物(そぶつ)と呼ばれた時期があります。本来の意味を調べてみると、侘(わ)び茶の祖である村田珠光の茶の心得の第一項に、「上を虚(そ)相に下を律義に」という一文があり、「虚相の美」とも言われます。その意味は、表面はかざらず内面を充実させるということです。また、利休が修業時代、師の武野紹鴎に「わびとは何か」と尋ねたところ、紹鴎いわく「慎み深くおごりなき様」と言われたそうです。利休からわび茶を学んだ氏郷公が会津のやきものにふれた時、虚相の美を備えていたもので「虚物」と評しました。
 しかし一つの産地で磁器も焼かれるようになると、磁器に比べ粒子が粗(あら)めの土でできた陶器だけ、いつのまにか虚物が粗物に変わってしまったように見受けられます。それに伴い、やきものを見る目も表面的になり、ものの本質を追求する教養人も少なくなっていったように思われます。
 今、宗像窯そして会津のやきものを語る時、質実剛健と言われることがよくあります。
 古来、山や河、すべて人間の力が及ばないものに神が宿ると言われ、このような大自然の良い気にふれていれば、人間はより謙虚にならなければならないのに、会津においても他の地においてもこの精神が希薄になっているように思われます。大自然に接している会津人の心の中には寛容と慈悲の精神が眠っていると思います。質実剛健と言われる作品を造る上で虚相の美を備えた会津の風土から来る精神が今、とても大事に思えます。





伝統に生きるエコ

 東京・日本橋三越本店での個展を終え、郡山駅に降りた時、まず最初に感じたのは空気がおいしいという事でした。今までも都会から戻った瞬間(とき)は同様に感じていましたが、その感動も会津の生活に入るといつのまにか忘れてしまった様(よう)に思います。  今回、空気のうまさイコール、エコ問題が強烈に浮かんだのは、今年七月に修業を終えて帰ってきた長男と地球の環境問題を真剣に話し合う様になったからだと思います。私が京都で学生生活を送っていた頃(ころ)はまだ環境問題もあまりマスコミに取り上げられておらず、その後、修業を終えて会津に帰ってからも東北は自然が豊かなため、環境問題が世界規模で取り組まれているという実感がわきませんでした。しかし、実際に都会で学生生活を送った息子は今、都会の多くの人が地球環境の汚染に大変敏感であり、資源の利活用、ゴミの分別による再利用など真剣に取り組んでいると話してくれました。
 やきものは焼かないと始まりません。昔は宗像窯に今ある様な、まき窯が主流でしたが、石炭・灯油窯といった化石原料が使われる様になり、これからは温暖化の問題も考えていかなければならない時期にきていると思います。酸素は植物にしかつくることができません。そのためには植林が必要ですが、間伐しないと良い木は育たず、良い森にはなりません。今後は間伐材や廃材なども再利用した登り窯や高性能の小型のまき窯なども視野に入れ、次世代のやきもののあり方を考えていかなければならないと思っています。
 宗像窯は、古くから町内の白鳳山で採れる的場土を使用、釉薬(ゆうやく)の灰も工房でのまきストーブの灰を使い、資源の再利用も自然の形で行っています。会津本郷の土は高度成長期に大量生産する窯元がなかったおかげで、良質の土が残りました。これからの時代、表面的な色や形などのデザイン性に加え、どこの産地の土かといった土の味わいなどによる質感、本質的なものが強く求められる中、良い条件はそろっています。ただ、良い土があっても土に対して生命の気を感じ、畏敬(いけい)の念がないと土も応えてくれないと思います。
 異常気象が各地で発生し、環境問題が地球全体の問題となっている今、地球温暖化に対して京都議定書ではCO26%削減の目標を掲げ、各地で取り組みが盛んに行われています。こうした中、まだ自然が豊かに残っている本県の中から地球問題を真剣に考える人が増え、それぞれができる事から実践していくことが次世代の県民精神と風土をつくり、それが世界から見て住んでみたい地域であり、今後東北が目指すべきものと思います。
 私自身、現代社会を生きる一人の人間として、やきものを通してこの問題に真剣に取り組んでいきたいと思っています。





会津の蕎麦から見えてくる事

 私たちの身の回りには、なぜこんなに色々(いろいろ)な種類の器があるのでしょうか。ぐいのみにしても、おそらく何百種類もあると思います。先日、水、こうじの良さが感じられる、ほのかな香りのする日本酒を自宅で楽しんだ後、後日、別の場所で同じ酒を頂(いただ)いた時、ガラスのぐいのみが添えられていました。その時、見た目には、ステキなガラスのぐいのみで頂いたのに、自宅の時の、あの繊細な味わいがなぜか、ただの水っぽいだけの酒に感じられました。グラスのせいかと思い、グラスを変えてみましたが、同じでした。その時、繊細な良い酒ほど器が大事であり、改(あらた)めて飲み物も器によって味が大きく変わるものだと感じました。  やはり私の好みとしては、繊細でふくよかな上質の酒には、良い質感を備えた土もののぐいのみがもっとも合う様(よう)に思います。皆さんも器を選ぶ時は、色、姿の好みだけでなく、その飲み物が何に合うかを考えて選んではいかがでしょうか。  繊細な味覚といえば「山都の水そば」があります。これは、そばそのものの風味を最大限においしく頂くための究極の食べ方です。そのためには、そばの質が良い事と同時に、磨き抜かれた最高の伏流水が要求されます。この食べ方はおそらく、会津だけのものでしょう。そばの風味は淡く繊細なものですが、かんでゆくと、こくのある味わいになります。  現在の食べ物は甘く、濃い味つけのものが多く、口には分かりやすい味ですが、それだけに、慣れてしまうと身体に良い繊細な料理は薄く感じられる様になります。まずは繊細な味覚を育てる事が大事だと思います。そして、繊細な味を引き立たせるためには、それに合った良い質感の器が必要とされます。  しかし、現在の器は、質感などあまり要求されない、見た目だけのものに変わっている様に思います。今、食べ物をおいしく頂くためには五感をフルに使いますが、中でも、味覚は触覚に大きく影響を受ける様です。触覚の重視は世界の流れと聞いています。繊細な食器は、逆に壊れやすいという欠点がありますが、それを大事に使う事が心の修業につながるものだと思います。京都の老舗で一見さんおことわりという所がありますが、その理由の一つには、料理に合う最高の器でもてなそうとするため、器の安全性を考えると、一見のお客様には心もとない、心配な面がある様に思います。  人間は生きている限り食べなければなりません。どうせ食べるなら毎日、必ず必要とする、ごはん茶碗(ちゃわん)と湯飲みだけは、最も合う器を使いたいものです。  中央アジアからシルクロードを経て、渡来して来たそばが、日本に渡り、日本そばとなり、そば文化が花開いた会津。私もこの地で、そばと同様、繊細さと力強さを併せ持つ人間になりたいと思います。





冬を楽しむ

 これから厳しい冬を迎えますが、会津の冬といえば、真っ先に雪が浮かんできます。私たち会津に住む多くの人々にとって雪は、一般的にマイナスのイメージしかありません。しかし、視点を少し変えると、雪どけ水は落葉の分解を助け、岩石層を通してミネラルたっぷりの伏流水を提供してくれます。また、冬においしくなる漬物や酒、みそ、しょうゆも、このすぐれた伏流水のおかげなのです。  晩秋になると落葉樹は葉を落とし、一見、枯木の様(よう)に見えます。日本の美を代表する、さび、わびの原点は、葉を落とした状態の「枯れる」と冬の厳しい寒さがもたらす「ひえる」という二つの美意識が元になっております。秋の紅葉は、だれが見てもきれいに映ります。室町期の先人は、厳しい環境での木々本来の姿に美を見いだしたのです。そこから茶の世界にさびが生まれ、わびへと発展し、千利休によって大成された日本を代表する茶道となったのです。  この様な流れを見てくると、雪国会津は「枯れる」「ひえる」を代表する地域なのです。利休は茶道の精神として藤原家隆の「花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の はるを見せばや」の歌を示しており、ここから山里銘の茶碗が多く見受けられます。会津では一面の雪野原から力強く芽を出すフキノトウが、そうした世界を表している様な気が致します。  現在の会津は、昔に比べ雪も半分以下であり、道路もきれいに除雪され、先人が経験した大変さは、昔物語になってしまいました。しかし、六代目豊意の時代は暖房設備も充実しておらず、そのため、粘土は凍(し)みやすく、乾燥もままならぬことから、冬の間はロクロもニシン鉢づくりも控えめにし、春に向けて道具を整えたり趣味の川釣りの準備をしたり、合間には、謡(うたい)を楽しみ、厳しい冬を逆に楽しんでいた様に思われます。現代は厳しさがなくなった代わりに、心を休ませる暇もなく働き続け、ひいては心を病む人も現れてきた様に見受けられます。  戦後の日本は高度成長を求め、働けば働くほど、豊かになる時代でした。その結果、確かに物の豊かさと便利さは手に入れましたが、心の豊かさは失われた様に思われます。七代目が若かりし頃(ころ)、六代目はあまりにも厳しい生活環境のため、窯を継がなくても良いと言ったそうです。そうした厳しい生活の中にあっても心の豊かさを見いだした六代目の生き方に私は共感しております。  ニシン鉢がベルギーのブリュッセル万国博でグランプリを受賞して今年でちょうど五十年になります。今の世の中はあらゆる面で大変厳しい時代を迎えていますが、厳しくともプラス志向で身を慎しめば、心も健康になり実りも多い様に思われます。これからも会津の冬は「宝物」と思い、厳しさを楽しんでいきたいと思います。





先人に学ぶ

 アメリカ発の金融恐慌は世界中を駆け巡り、日本でも派遣切り、ホームレスの増加など大きな社会問題となっています。グローバル経済化での不況は、日本一国で決して解決できるものではないと痛感させられました。  私は、今までも大変な事があると、先祖は一体どの様(よう)にして困難を切り抜けて来たのだろうかと考えます。宗像窯の初代は、七六七年(奈良時代)に宗像大社の布教師として会津の地に移り住み、伝統の技を受け継いで来ました。当然、現代社会では考えられない様な困難が数多くあったはずです。  江戸時代だけでも寛政、天明、天保の三大飢(き)きんを経験しています。天明の記録を見ると、冷害で凶作となり、米はとれず餓死者八万一千七百二人と記録されています。食物を確保できなかった人たちは栄養失調となり、疫病に侵され、ついには家を捨てて流浪するか、あるいは草木の根や壁土を食べ、犬、ネコ、病死した馬の肉を食べ、さらには死亡した人の肉を口にした話も伝えられております。この様な厳しい時代でも我々(われわれ)の先祖は必死で乗り越え、伝統を残してくれたのです。  私も今こそ先祖を見習い、くじける事なく次の時代に求められる商品の開発、時代の変化に対しての「用の美」の見直しに真剣に取り組もうと思っております。  宗像窯は用の美を標榜(ひょうぼう)してきました。そしてこの用も時代とともに変わってきたと思います。ブリュッセル万博でグランプリに輝いた祖父のニシン鉢も、今ではニシンを漬け込む鉢として使う人は少なくなり、ほとんどの人が花器やワインクーラーとして使っている様です。祖父の時代には考えもつかなかった使われ方をしているのが現代なのです。この様に多様性を持つ器に、器とは何かという本質論が今問われ始めています。  戦後の高度経済成長の中で生まれた大量生産、大量消費の環境に育った現代人にとっては、身を慎み、無駄を省き、節約するという事は大変ですが、昭和の大茶人で王子製紙中興の祖と言われた藤原暁雲翁は「茶道の精神は無駄を省き、ものを生かす事に尽きる」と言っております。すべての行動の中にこの精神が生かされ、潤いのある日常生活を送るために、私は今までの生活のあらゆる価値感を根底から見直し、意識せずにものを生かす行動ができるようになれば、と心掛けております。  現在は百年に一度の大不況と言われておりますが、見方を少し変えると、今までの価値感が大きく変わろうとしている、ある意味で変革の時代だと思います。ブランドについても公明性が求められており、それがブランドの見直しにつながり、産地のブランド再編成が始まろうとしている様な気がします。会津には自然あふれる風土と困難を乗り切った会津魂があります。私も先人に学び、頑張りたいと思います。





「用の美」を考える

 毎日の食卓には、役割分担した各種器が用いられています。特に日本人にとって食後のお茶は格別のものです。玉露には小ぶりの急須と小さな碗(わん)。せん茶には、中ぐらいの急須とくみだし。番茶になると、土瓶と湯のみの組み合わせがお茶の味わいを一段と深いものにしてくれます。日常生活の用は、急須と土瓶に代表されるものです。  そこで歴史的に最も古くから使われている土瓶を考えてみますと、土瓶の先祖は青森県で出土された縄文時代の注口土器に代表されます。この器は現代の土瓶と同じ様(よう)な注ぎ口がついており、大きな器から小さな器へ入れ替えるために使われた様です。今でも茶会では三百年ほど前の織部の土瓶型水注が珍重されております。  一口に土瓶といいますが、本体である袋、それに注ぎ口、取っ手、蓋(ふた)、さらに現在では茶こしを加え、以上の四種が微妙なバランスで成り立っています。よくできた土瓶を見ると愛嬌(あいきょう)があり、気取らぬたくましさがあり、一方、機能性に目を向けると、注いだ後、尻漏れせず、適度な軽さがあり、陶芸家の河井寛次郎は「土瓶を見れば腕前が分かる」と言いきっています。さらに、人間国宝の浜田庄司、バーナード・リーチも「土瓶は作り手の人格が一番表れる」と土瓶作りにはかなり真剣に取り組んだ様です。  現在は丈夫で使いやすい鉄瓶が主流ですが、手入れを怠ると錆(さび)がつき、かなけくさい臭(にお)いがつきやすくなります。千利休などは水を最大限によい状態で味わうために、土瓶を好んで使ったと言われております。  ここで「日常使い」というものを考えてみますと、一般にはあまり高価ではなく、壊れたら同じ物をすぐに買い替える事ができる、どちらかといえば安価なイメージがありますが、数十万円もする湯のみを惜しげもなく使う人もいれば、数百円の湯のみを使っている人もいる様に、日常品には幅があるということです。  また、「用の美」という視点で考えると、使えば良くなるのではなく、美が潜んでいる、きちんと作られたものを選び、その器の特性をよく理解した上で、大事に扱い、楽しんで使いこむことによって、中に潜んでいる美が引き出され、よく育つと思われます。そして、そのような器は、その場にただあるだけで場の雰囲気を良い方向に変える程(ほど)のものを持っている作品です。これが″用の美″なのです。  不況の日本で最も大事なことは自分の健康づくりのことであり、食品の安全志向もそこにあると思います。身体は食がつくりますが、細胞の多くは水分です。同時に血液となって脳の働きもコントロールしております。心の豊かさを求める現代において、純粋な水の味わいを得られる用の美を持つ土瓶や器が、益々(ますます)必要な時代になってきたように思います。





会津は木の国、器の国

 日本は山と木の国です。会津も山と緑に囲まれた「まほろば」の地であり、我々(われわれ)の祖先は、木と上手につきあいながら過酷な時代を生き抜いてきました。住まいは、厳しい冬の豪雪に耐える、がっちりとした木造建築、味噌(みそ)、酒、漬物は樽(たる)の中で豊かな風味が生まれ、膳(ぜん)も器も手洗いの桶(おけ)も、ほとんどが木製品でした。  森は水のほか、ゼンマイ、タケノコなど豊かな山菜を生み、私たちの祖先は、薪(まき)など生活のほとんどを森に依存しながら現代につながる「会津人」をつくり上げてきました。  さらに、焼き物関係者にとって木の灰による自然釉(ゆ)は、漆の器を持った時と同じ様(よう)な柔らかな触感が感じられ、食卓の上でも違和感なく食事を楽しむことができます。  抹茶碗(わん)づくりで面白いのは、私が天目、井戸以外の形をロクロでひくと、なぜか木のお椀(わん)形になってしまうことです。私の身体の中に潜む造形感覚には、「お椀のDNA」が組み込まれているように感じられます。それだけに、この造形感覚を大切にし、さらに発展させていきたいと思っています。  お椀は全体に漆をかけますが、陶器は必ず「土見せ」を残します。これは機能的には熱による膨張を防ぐためですが、結果的にざらざらとした土味を手の平で鑑賞できることになります。漆のつるつる感と土味のざらざら感の対比により、互いがさらにひき立て合うなど、長くはぐくまれてきた漆器と陶器の食卓は、生活にうるおいと落ち着き、楽しさを与えてくれます。  漆と磁器との組み合わせにおいても、磁器は土見せこそ陶器ほどのざらざら感はありませんが、会津本郷で焼かれる磁器は、他県で大量生産で焼かれ会津に入ってくる磁器に比べ、一つ一つが手づくりで大事につくられており、温かみのある柔らかな質感が感じられ、漆との取り合わせも素晴らしいと思います。漆器は高級品というイメージがありますが、長い年月で考えると修理、塗り直しの利く現代のエコ生活に最もふさわしいと思います。  感性は経験によって高められていくため、学校給食を考えた時、漆の椀は触覚を鍛えるのに最適だと思います。将来を担う子どもたちのためにも、ぜひ木の質感あふれた漆の椀を給食に取り入れてもらいたいと思います。なお、東北では秋田の川蓮漆器が地元で取り入れられており、会津でも喜多方市でこうした取り組みが始められている様です。  触覚を養わないと感性は育たず、生活を豊かにする陶磁器の良さなどもなかなか分からないと思います。古代ヨーロッパの文化発祥の地など、ヨーロッパも元々(もともと)、日本と同じく木とのかかわりの中から感性が磨かれていた所が多かったと思います。現代の我々も森の持つ自然の力、森林浴などを見直し、次世代に伝えていくためにも何らかの行動が必要だと思います。